テンポよく行こう!(サウナ、ウズベキスタン戦、空港にて)
今日はサッカー日本代表のアジア3次予選、対ウズベキスタン戦をテレビ観戦した。
観ている時に僕が注意していたのは、両チームの技術力の比較と、各場面場面で貢献している選手の特定だった。
これは毎回つい精神論でサッカーを片付けて、気迫を持った選手達とその他選手との二元論に陥りがちな自分への反省から心がけたことだった。
だが、今回も結局同じ所へ考えが収束することで終わってしまった。
その精神論的な見方は、男子の後に連続して中継されたなでしこジャパンの試合を観ることでなお一層思いを強めることにもなった。
結局サッカーの攻撃における主導権というのは、その時に与えられている状況において、少しでも早い判断でしんどいプレーを仕掛けることができるかどうか、そしてその挑戦を成功させ局面を打開できるかどうかでしか決まらないのだと再確認することとなった。
自分がプレーヤーとしてやっていた頃に強く持っていた信念でもある。
そして、大学以降の生活において、失ってしまった感覚でもあった。
いや、精義塾の飲み会で学んだことも、今思えば結局同じことだったようにも思う。
悲しいかな、更に世界一周を終えて思う事、村上龍と坂本龍一の「EVcafe」での理想的な社会状態や塩谷さんの言う明治時代の日本人の生きる上での基本的姿勢などを考えても、この個人による局面打開力というのは日本人の最も苦手とするところであるようだ。
テンポよく、自らの気持ちで世界をこじ開けていこう。
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「空港にて」を読んで
毎日の自分の訓練として毎日夜の1時間を読書に充てることを最近心がけている中で、今日は何気なく村上龍の短編集「空港にて」を読んだ。
アメリカに映画留学をするという思いの中での主人公が見たコンビニ店内の情景を描いた「コンビニにて」、
絵描きという夢を彼氏に内緒にしながら、ゴッホの生きたフランス・アルル行きを目論む主人公が、よくありそうなちょっとした飲み会をどこか外部視点で見つめてしまう「居酒屋にて」、
そして、33歳バツイチ子持ちの風俗業を糧として生きる女が、ふと知り合ったお客さんに導かれ、義足装具士への夢のために熊本に飛ぶまでのエピソードを、空港での周囲の日常と共に追いかけた「空港にて」。
どれも今ここにはない何かを求めて一歩踏み出そうとしている人間を、わずか数分ほどの世界観を、これ以上ない情景描写と心理描写で描いたリアルな作品だった。
人は希望を持って挑戦しようとする人間の究極的に細かくリアルな心理描写を見ることで、自らの人生での挑戦への恐れの一般性を知り、そして仲間を見つけて気持ちを楽にするかのように少しだけ挑戦への勇気を手にすることが出来るようだ。
面白かった小説を自分の言葉で内容整理し、自分の心情変化をも整理することで、小説という装置の1つのパターンを学んだように思う。
同じ方法で、現在の自分の状況を題材に、希望を信じ与えられるような小説を書いてみようと思う。
とりあえず書いてみることから道は始まっていくようなので。